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オリンパスペンで撮る、楠公史蹟巡り(その22) 如意輪寺

「大楠公」の地元の学校、多聞尋常小学校の校長先生が昭和10年に出された小冊子「史蹟赤坂と千早」を手に、楠木正成公の史蹟を訪ねる「楠公史蹟巡り」。

前回の奈良県吉野郡吉野町、吉水神社参拝に続いて、今回は楠木正行公と南朝ゆかりの寺であり後醍醐天皇陵も所在する「塔尾山 椿花院 如意輪寺」を参拝する。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

吉水神社を出て、勝手神社を過ぎると、「後醍醐天皇陵」と刻まれた石碑ある。

如意輪寺と天皇陵はこの県道15号から中千本の谷を挟んだ向こう側にある。

徒歩の場合、ここから「中千本五郎兵衛茶屋附近ハイキングコース」を通っていくと2~30分程の距離だ。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

私はクルマで来ているので、中千本とは反対側の、駐車場に面した山門から境内に入った。

何となく微妙に歪んでいるように見える山門、古刹の風格大いに感じる。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

こちらは中千本側から境内に登る石段。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

その石段を登った山門から、正面に本堂の如意輪堂を見る。

山門には「楠木正行公遺跡」と。

死を決して四条畷に出陣する正行公が、辞世の歌を刻んだのはこのお堂の扉板である。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

如意輪堂の前に立つ寺号の石碑。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

釣燈籠の下、欄干には誰が置いたかワンカップ酒が2つ。

正行公に奉げるお酒か。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

風格ある鐘楼の前には、桜花を模ったの可愛らしい絵馬が奉納されていた。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

如意輪寺裏山の石段を登り、後醍醐天皇塔尾陵(とうおのみささぎ)を参拝する。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

途中には後醍醐天皇のひ孫に当たる、世泰親王の墓がある。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

さほど長くない石段を登りつめ、後醍醐天皇の御陵を拝す。

「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」の御遺志に従い、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっているのは有名なところである。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

私にとって、これが初めての天皇陵参拝。

二礼二拍一礼で拝礼したが、神社と違い拝殿だの本殿だのがある訳ではないので、拝む気持ちもいつもと違う、ちょっと妙な気分。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

私は二礼二拍一礼だが、帰らぬ覚悟の正行公と一族郎党は陵前に額ずいての拝礼だったのだろうな・・・などと考えながらの後醍醐天皇陵参拝であった。



楠公史蹟めぐり 後醍醐天皇塔尾陵 ご陵印

後日畝傍陵墓監区事務所で頂いた後醍醐天皇塔尾陵のご陵印。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

正行公及び一族郎党143名が出陣に先立ち如意輪堂に奉納した髻を埋めた所、「正行公髻塚」。

奉納された髻は最初御陵の西に埋められたが、御陵拡張と共に現在の地に移転改葬されたとの事。

「正行公埋髻墳」の石碑には「精忠兼至孝至節在天聞五百年前月今仍照髻墳 芳山司職免堂撰」と刻まれている。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

こ、これは・・・(笑)



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

弁内侍至情塚。

「後村上天皇に仕えた女官弁内侍は正行公討死の後尼僧となって菩提を弔った。 その黒髪を埋めたところ」の説明が添えられている。

弁内侍は日野俊基卿の息女。

河内金剛寺から吉野へと帰る途中、賊にさらわれそうになった所を助けてくれた正行公に思いを寄せるようになる。

弁内侍の気持ちを察した後村上天皇は正行公に娶らせようとするが、やがて戦陣に散る覚悟の正行公は「とても世に永らふべくもあらぬ身の仮りのちぎりをいかで結ばん」と、それを断り翌年討死してしまう。

悲しみの弁内侍は「大君に仕へまつるも今日よりは心にそむる墨染の袖」として、髪を落とし尼となって正行の菩提を弔ったのである。

その時の髪を埋めた場所に立てられたのがこの弁内侍至情塚だ。

実に悲しい物語である。

弁内侍はもちろん、正行公も私には不憫に思えてならない。

何とも悲しい物語だ。

ちなみに、弁内侍をさらうよう賊に命じたのは彼女に懸想した高師直との事。

美女をさらおうとしたり、女風呂を覗いたり、この人は一体どうなってるんでしょうね(笑)



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

総檜造りの納骨堂、多宝塔。

ご本尊は阿弥陀如来。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

「かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる」

正行公が辞世の歌を刻んだ扉を始め、多くの南朝ゆかりの品々や寺宝を納めている宝物殿を拝観。

後村上天皇に拝謁する正行公の絵にはしばらく見入ってしまった。

その後宝物殿の外で大楠公と小楠公の像、「楠公父子の像」を見る。

桜井の別れの場面だ。

傍には「青葉茂れる桜井の・・・」で始まる唱歌「桜井の訣別」の歌詞碑がある。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

大楠公の鎧の袖にお賽銭。

小楠公に至っては頭のてっぺんにお賽銭。

笑ってしまって、私もお賽銭を納める。



楠公史蹟めぐり 如意輪寺

最後にご朱印を頂いて如意輪寺の参拝を終える。



楠公史蹟めぐり オリンパスペンFV 38mmマクロ

神保町の古本屋で小冊子「史蹟赤坂と千早」を買ったことで「行ってこようか」と思い立った楠公史蹟巡り。

大阪府南河内郡多聞尋常小学校の校長先生である著者の尾上信太郎氏の解説文に誘われ、5月と6月の2度、楠公ゆかりの地を訪ね、太平記の世界をこの目で実際に見、この足で歩いた旅はとても楽しいものであった。

ネットでも殆どあるいは全く紹介されていない史跡にやって来られた時には感動と興奮をも味わうことが出来た。

そして、いまや私の行ってみたい太平記の舞台は千早赤阪周辺だけでなく、京、北陸、奥州、九州へと広がっている。

これからももっと太平記を歩きたい、見たい、体感したい、そう思わせる充実の千早赤阪周辺楠公史蹟を巡る旅であった。

(オリンパスペンで撮る、楠公史蹟巡り 終り)



楠公史跡巡り 如意輪寺

より大きな地図で 楠公史跡巡り 千早赤阪周辺 を表示


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