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オリンパスペンで撮る、楠公史蹟巡り(その15) 観心寺

「大楠公」の地元の学校、多聞尋常小学校の校長先生が昭和10年に出された小冊子「史蹟赤坂と千早」を手に、楠木正成公の史蹟を訪ねる「楠公史蹟巡り」。

前回は大阪府千早赤阪村と奈良県御所市にまたがる金剛山を登り、山頂の転法輪寺と葛木神社を参拝したが、今回は大阪府河内長野市の「観心寺」に参拝する。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

河内長野駅から国道310号を奈良の五条方面へ。

山間の道をしばらく行くと、奈良時代に遡る歴史を有する古刹、檜尾山観心寺が見えてくる。

仏塔古寺十八尊第十三番。

所在が河内長野ということからか「史蹟赤坂と千早」には紹介されていない場所だが、楠公史蹟巡りをするにあたって当然訪れるべきお寺である。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

観心寺山門を見る。

ここは楠公史蹟の地であると同時に南朝史蹟の地でもある。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

山門をくぐり右手を見ると、「後村上天皇御奮跡」と刻まれた碑が。

旧惣持院跡。

後村上天皇が正平14年(1359)から約10ヶ月行在所とされた場所である。

つまり、ここに臨時の皇居があったということだ。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

旧惣持院跡の向かいに建つ中院。

楠木家代々の菩提寺、正成公の曾祖父成氏が再建したと伝えられ、正成公8歳の時から15歳までの間の学問所でもある。

正成公は兵学だけでなく幅広い教養をここで学んだのだ。

また、正成公が鎌倉幕府に対し兵を挙げた際、楠公夫人らが赤坂から避難した先がこの中院であると言われている。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

石段の先に金堂が見える。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

金堂に向かって石段を登っていく。

その途中右手に建つのが鎮守堂。

訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)とも。

国の重要文化財。

後村上天皇によって再興されたお堂で、楠木正行が建設の奉行を務めたとのことである。

「訶梨帝母天」とは鬼子母神の事。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

国宝、観心寺金堂。



楠公史蹟めぐり 観心寺
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

金堂の正面、石柵に囲まれた弘法大師礼拝石。

弘法大師空海がこの石に座り、厄除けと国家の安全祈願の為北斗七星を礼拝したと伝えられる。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

陽を浴びた金堂の朱色は柔らかくも鮮やかであった。

南北朝期の建設だが、昭和59年に解体修理が施されているので、まるで昨日建てられたかのような綺麗さである。

建築様式は日本古来の和様をベースとしながら、大陸伝来の禅宗様や大仏様も採り入れられた、折衷様の仏堂との由。

私には残念ながら仏教建築の知識がないので金堂を前にしてもその特徴を鑑賞するには至らないのだが、貴重な国宝に直に触れることが出来て単純に感激することしきりである。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

建掛塔(たてかけとう)と金堂。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

建掛塔は正成公寄進により建立が始められたものとされている。

この、建武の新政の成功を祈願しての塔建立は、正成公湊川にて討死により建設半ばで中断され、三重塔として完成するはずだったものが一重目だけの姿で今に伝わっているとの事である。

それは途中で挫折した建武中興の運命に通ずるものがあるように感ぜられる。

それにしても軒下の造形の複雑さよ!



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

登録商標・大楠公!!

私は普段酒を嗜まないのだが、これはちょっと飲んでみたいかも。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

頭でっかちな茅葺屋根のアンバランスさがむしろ魅力的な建掛塔である。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

修行大師の像の前で黄金色の蓮が花を咲かせる。

弘法大師空海の修行時代の像だ。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

住吉大社にて崩御された後村上天皇の陵墓、檜尾陵へと登る石段。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

観心寺の実質的な開基であり、空海の一番弟子でもある道興大師(実恵)を祀る開山堂。

江戸時代初期の建立。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

開山堂の裏手、格子の向こうには道興大師御廟。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

非理法権天。

大楠公の首塚を拝す。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

湊川に最期を遂げた正成公の首級は敵将足利尊氏によって千早城へ、次いで観心寺中院に送り届けられ、妻子と無言の対面を果たした後この場所へ葬られたとされている。

千早本道にも楠公さんの首塚があるように、遠い昔の人の墓あるいは首塚の存在地をここだと断定するは中々困難であるが、話の流れから言って、ここに正成公が眠っておられるという説は肯けるものである。

というわけで、正成公を崇拝する人々にとってここは正に「聖地」なのであり、幕末には吉田松陰先生はじめ多くの志士が参拝に訪れたという。



楠公史蹟巡り 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

楠公首塚の隣には「コウボ坂陵墓参考地」がある。

ここは後醍醐天皇の寵妃にして義良・恒良・成良の3親王の母であり、太平記ではちょっと厳しい評価をされてしまっている三位局こと阿野廉子、院号宣下を受けて新待賢門院の陵墓とされている場所である。

義良親王は後醍醐天皇の後を継ぎ後村上天皇として即位するので阿野廉子は皇母(コウボ)というわけだ。

悪女的扱いをされ気味な阿野廉子だが、流浪の後醍醐天皇に常に寄り添い行動を共にし続ける姿には、野心よりも健気さを感じてしまい、私は結構好きである(原田美枝子が美人だったということもあるが)。



楠公史蹟めぐり 観心寺
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

参拝者用駐車場に面した場所に建つ「大楠公像」。



楠公史蹟巡り 観心寺

「見所」という言い方は適当でないかも知れないが、境内の至る所にその見所が満ち満ちている観心寺。

有難くご朱印を頂戴して参拝を終え、次回は楠公夫人縁の地、富田林市の「楠妣庵観音寺」を訪れる。



楠公史跡巡り 観心寺

より大きな地図で 楠公史跡巡り 千早赤阪周辺 を表示

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