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オリンパスペンで撮る、楠公史蹟巡り(その12) 千早城址・千早神社

「大楠公」の地元の学校、多聞尋常小学校の校長先生が昭和10年に出された小冊子「史蹟赤坂と千早」を手に、楠木正成公の史蹟を訪ねる「楠公史蹟巡り」。

前回は千早赤阪村、「奉建塔」を訪ねたが、今回は同じく千早赤阪村の「千早城址」と「千早神社」を見に行く。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

鎌倉幕府の軍勢もこのように山を見上げていたのだろうか。

千早赤阪村、千早の集落から千早城址を望む。

「史蹟赤坂と千早」を記された尾上信太郎氏が校長を勤めておられた多聞尋常小学校(昭和22年多聞小学校に改称後、平成19年に閉校となり、現在は学習合宿施設「多聞尚学館」)も見える。

その尾上氏はこの山を、誇りを持って次のように紹介している。

千早城は金剛山城・千早の城・千早の詰城・又は千早のかくれ城等といいます。
詰の城とは最後の城ということです。
又かくれ城とはよくかくされた城の意味で、千早へ来て初めてこの城のあることがわかるのであります。
下赤坂城や上赤坂城は普く天下に呼号して勤王の志士を奮起せしむるに非常な働をしましたが、大楠公の奮忠をして有終の美果を収めしめたものは、実にこの千早城でありました。


千早城は上記別名の他に当て字表記も多い城で、千葉屋城・茅破屋城・茅葉屋城はまだしも、千剣破城や千破窟城ともなると書き手がイマジネーション膨らませ過ぎのハイレベルな当て字であると言わざるを得ない。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

集落内の交差点に道標が並ぶ。

「金剛山道」、「右 五条 左 金剛山」。

右端の「左 千早城址 金剛山登山道」の道標は最早自立することが出来ないらしく、錆びた番線で電柱に健気にしがみ付いている。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

山頂を目指す。




楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

細くて急な坂道を登って、多聞尚学館。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

村立小学校はその歴史にピリオドを打ち、今は私立の教育施設に変わってしまったが、一枚の看板にかつての名残を見ることができた。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

多聞尚学館の前を過ぎ、坂を登りつめ、府道705号に出るといよいよ千早城址の登城口、大手口である。

これは千早神社の表参道でもある。

多門小学校の門前を過ぎて経坂をたどると、路を挟んで左右対をなした石門が建てられてあります。
右に「審強弱之勢於幾先」
・・・



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

・・・左に「决成敗之機於呼吸」と刻まれてあります。
これは共に朱舜水の楠公碑文から採った句であります。


尾上氏が記したとおりの石碑、碑文も明瞭だが、学の無い私に意味は全く不明瞭。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

なるほど、なるほど。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

敵は百万騎・・・太平記に頻出する荒唐無稽な大法螺には苦笑いするしかないが、、「誰ヲ憑ミ何ヲ待共ナキニ城中ニコラヘテ防ギ戦イケル楠木が心の程コソ不敵ナレ」の一文には胸を強く打たれる。

太平記はまったく奥が深い。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

此処から曲折する山坂を約四百五十メートル登ると山頂に達します。

訪れた多くの人々をげんなりさせるこの延々続く石段は千早城址の名物である。

確かに厳しい登りなのだが、丸太や岩や熱湯、挙句の果てに熱々の糞尿をお見舞いされずに登れるのだから我々は幸せというべきだろう。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

鳥居をくぐって、まだまだ登る。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

トレッキングポールに頼りながら必死に登る運動不足な私の前に、冊子にも紹介されている石碑が現れる。

千早城について見るに、人工によって山腹の傾斜を急峻にしたり、塀・柵・櫓・根小屋等を作った他、特に城の上部を幾段にも区画し、又二の丸と三の丸との間、並に城後金剛山に連絡する所に空堀を設けた事等は、他では見られないことであります。
この他、追手登り口(将に頂上に達せんとする所「楠公功與此山倶高
(原文ママ)」と刻したる石碑の辺)の背後や、千早神社々務所・茶屋壇・及び後方高所の下方等に、数箇の袖曲輪が階段状をなして造られた跡が、今も尚歴然と見ることが出来ます。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

「楠公之功與此山倶高」。

楠公の功績はこの山のように高い。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

さあ、もうひと踏ん張り。


楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

およそ600段あるとされる厳しい石段登りを終え、ようやく着いた千早城址四の丸(第四郭)は登り切った達成感も手伝って、実に清々しい場所であった。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

振り返って下界を眺める。

城は金剛山より西に走る一支脈の先端が、一つの独立峯をなす山嶺を利用して築いた山城で、東北に千早谷、北に北谷、東南に妙見谷、東に風呂ン谷があって、四方ほとんど深い谷をめぐらし、ただ僅かに城後一方のみが一條の山路によって金剛山に連絡する要害の地であります。

筑波山に登った吉田松陰先生は、地理不案内故に眼下の地勢を詳しく論じることが出来ないと残念がっていたが、同様の私も遠くに見える山々が何であるのか分からないまま、「これじゃ幕府勢も大変なはずだ」と単純に感心するばかりであった。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

四の丸は城址の曲輪の中で最も広い場所である。

正面から攻撃する幕府勢を迎え撃つ前線の主力陣地に相応しい広さだ。

しかし、後世の改修により、正成公が融通無碍な奇策で敵に痛打を与えていた頃とは残念ながらかなり様相を異にしているとの事である。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

千早城址茶店は平日はお休みのようだ。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

一夜に5石も湧き、どんな干天にも涸れることのない「五所の秘水」があり、更に大きな水桶を2~300、雨水回収設備まで用意して、飲料水の確保に万全を期した千早城。

これにペプシコーラまで加わった日には、名越勢がどんなに谷川のほとりで頑張っていようと、いつまで経っても待ちぼうけという訳だ。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

楠公飯にうんざりした城兵も、これにはきっと大喜びするであろう「菊水パン」。

私も食べてみたいが、ネット上には菊水パンに関する情報が全然無い・・・。

この茶店で売っているのかな? 食べてみたいな・・・。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

鳥居をくぐって四の丸から三の丸(第三郭)へ向かう。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

四の丸と三の丸を繋ぐ鞍部を三の丸方向から見る。

かつてここにあったとされる堀切は消失しており、最早その姿を見ることは出来ない。

なお、この鞍部には金剛山登山のメインルート「千早本道」こと林道妙見谷線から分岐する裏参道が接続している。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

鞍部から三の丸への石段。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

三の丸はさほど広くなく、すぐに二の丸(第二郭)への石段となる。

ここには千早神社の社務所がある。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

社務所は元日や例祭の日以外は無人と伺った。

というわけで、ご朱印は千早本道の登山口にある「まつまさ」で頂くことになる。

ただし、「大楠公」と記してある紙に自分自身で印を押す「セルフご朱印」なんだけどね。

汚れっちまって悲しい私が己の手で押したご朱印、果たして御利益のほど如何に。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

二の丸に立つ「史蹟千早城址碑」。

下赤坂城址や上赤坂城址に立っていたものとほぼ同様の石碑である。

ああ、堂々として力強く実に見事な「千早城舊阯」の銅標はどこへ行ってしまったんだろう・・・。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社

「史蹟赤坂と千早」に掲載による、これが千早城舊阯の銅標だ。

これについては千早城訪問を終えた後、千早赤阪村立郷土資料館に立ち寄った際質問し、対応して頂いた方に千早赤阪村史を調べたり他所へ電話で問い合わせたりして頂いたのだが、銅標に関する記録がなく不明との事であった。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

もちろん、昭和13年から任意で始められ昭和16年には回収令となった戦時下の金属供出によって撤去されたに相違ないのだが、確証を得ることが出来なかったのは残念な事であった。

なお、千早赤阪村立郷土資料館様にはお忙しい中、突然の質問にも丁寧に対応して頂きました、御礼申し上げます。


というわけで、これもまた御国に殉じた千早城舊阯銅標を、「史蹟赤坂と千早」記載の解説文を引用して偲んでみようと思う。


   九、千早城址銅標

明治三十四年秋、大阪砲兵工廠弾丸部に於て鋳造せられたものです。
碑首に菊水、台に山吹に水を用いてあるのは、楠公の紋所を「菊水」或は「山吹に水」ともいわれているからです。
題字は日下部鳴鶴の揮毫であります。

銅碑総高  十六尺
 内
碑体高   一丈二尺 幅三尺  横幅二尺
台高    四尺   表幅六尺 横幅四尺
銅碑総重量 三千五百九十九吉(九百五十七貫)
 内
碑体重量  一千六百七十七吉(四百四十五貫)
台重量   一千九百二十二吉(五百十二貫)




楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

本丸跡はこちらです。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

拝殿へと登る石段の傍に奉納額。

「昭和参年拾壹月歩兵第三十二聯隊将卒一同奉納」と。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

千早神社拝殿。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

とても落ち着きの有るシックな色をした木肌の拝殿に、きれいな紅白の鈴緒がとても鮮烈であった。

拝殿及び本殿の背後に位置する山の最高所が千早城の本丸とされているが、禁足地となっており立ち入ることは出来ない。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

本丸址の下を南から東に巻いて千早本道に接続する道を行く。

鞍部に接続する裏参道に比べ多少の歩き難さはあるが、大したものではない。

そしてたどり着いた千早本道との合流地には中空に舞う注連縄があった。



楠公史蹟巡り 千早城址・千早神社
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

「左 楠公城跡」。

裏参道の入口には案内板も立ててあるが、こちらはこの小さな石碑だけ。

むしろ雰囲気があってとても良い感じだ。

それにしても又もや千早城の別名登場である。

「楠公城」ですか・・・楠木城(上赤坂城)と紛らわしいですな・・・。

・・・などとぶつくさ言いながら千早城の探訪と千早神社参拝を終え、次回は楠木正儀の墓を訪ねる。



楠公史蹟巡り 千早神社ご朱印

千早神社ご朱印



楠公史跡巡り 千早城址・千早神社

より大きな地図で 楠公史跡巡り 千早赤阪周辺 を表示


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