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オリンパスペンで撮る、楠公史蹟巡り(その8) 上赤坂城址

「大楠公」の地元の学校、多聞尋常小学校の校長先生が昭和10年に出された小冊子「史蹟赤坂と千早」を手に、楠木正成公の史蹟を訪ねる「楠公史蹟巡り」。

前回は千早赤阪村、建水分神社の摂社「南木神社」を参拝したが、今回は同じく千早赤阪村の「上赤坂城址」に向かう。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

南河内グリーンロードを千早赤阪村給食センターまで進むと、その向かいに坂の小道がある。

案内板の指示に従って坂を登って行く。

振り返ると富田林の市街が見える。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

そして進む方向には小高い山が。

昭和9年指定、国の史跡「楠木城跡」だ。

一般には「上赤坂城」の名で知られている。

「史蹟赤坂と千早」は次のように記す。

赤坂村桐山の村外れから城坂(じょうざか)というけわしい坂路を数百メートル登ると上赤坂城址に着きます。
此の城は元弘二年に築かれたもので、小根田(おねだ)の城・桐山の城・楠木本城・上赤坂城等といいます。
此処は金剛山から西北に波の如くにつづく峻嶺の一つで、西に城谷(じょうたに)、東に井戸の谷、東北に足谷川の渓谷があって、三方は深い谷をめぐらして他に孤立し、僅かに背後(南方)のみが馬の背の様な一條の小徑によって、金剛山頂に連絡する実に天嶮の地であります。




史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

この上赤坂城は下赤坂城陥落後の正成公再挙兵において、平野将監以下300名が守備、幕府勢と10日間激戦を繰り広げたものの、水源を絶たれて降伏の已む無きに至った城とされている。

ただし、太平記の記述では上赤坂城と下赤坂城の別が明瞭でなく、またこの「楠木城」の遺構自体も特に戦国時代に改修されてしまっていることもあり、今後の更なる調査研究が待たれる史蹟である。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

城坂の登り口(大正十年大阪府から建てられた「此山頂上赤坂城址」と刻した石柱のある所)から城址までの間には、今も尚、外壕、木戸の跡が数箇所認められます。

まさしげくんの看板の後ろに城の入口となる「一の木戸」の跡が見える。

木戸とは城門のことである。

木戸を突破し、いざ、上赤坂城本丸へ。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

一の木戸。

早速始まる深い切通しに緊張感が高まる。

案内板を読む。

「糞尿を敵にかけた奇策は『糞谷』という地名になって残っています」

・・・。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

一の木戸を過ぎ、切通しの登り道を行く。

坂は緩く、足場はしっかりしており、意外や、実に歩き易い。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

石仏に挨拶を。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

一の木戸から50m、二の木戸。

右側は急斜面だ。

案内を読む。

「東側には足谷川を挟んで二河原辺城、西側には一番のきり城跡・首切り場を望むことが出来ます」

・・・首切りですか・・・。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

木戸を過ぎるとまた切通し。

この組み合わせと険しい地形で防御しようとしているのが解る。

しかし戦時でなければ、歴史と雰囲気を味わいつつ、実に楽しく歩ける道である。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

二の木戸から200m進んで三の木戸。

何の迷いも無く真っ直ぐ伸びる杉の林が美しく、爽快な場所だ。

「史蹟赤坂と千早」より。

賊将本間又太郎一族は衆に先んじて第一陣を承け、奮戦突撃、たちまち第一、第二、第三の木戸をうち破り、将に第四の木戸に到らんとしますと、城兵は鏃をそろえて射下しましたからたまりません、死傷続出し、又太郎兄弟も相ついで矢に中り、部下に扶けられて戦線を退きました。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

さらに100m進んで「そろばん橋」。

三の木戸と四の木戸との間には塹壕の跡が歴然として存し、里人は此処を算盤橋と呼んでいます。
口碑に、此処へ大きな算盤の橋を掛け渡してあったのだと伝えられています。


写真では判り難いが、土橋の両側は深い堀が切られ、敵兵の侵入を阻止している。

このそろばん橋を渡ったところが四の木戸。

突進してきた本間勢が撃退されたのは正にここというわけだ。

それにしても「そろばんの橋」とは一体どんな形の橋なんだろう?



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

ストンと落ちていく急斜面にへばり付く小道を進む。

さすがは難攻不落といった風情を堪能。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

急に、開けた場所に出た。

茶碗原だ。

本丸と二の丸との間には三箇の台地があって、字を茶碗原といい、陣小屋、炊事場のあった所だと伝えられています。

後世大幅に開墾され往時の状況は不明瞭だが、多くの遺物が採集されている場所との事である。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

茶碗原の辺りで本丸へ行く道と二の丸へ行く道の分岐になる。

まずは二の丸へ。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

「東の城」こと、二の丸。

沢山の切り株で些か歩き難い。

二の丸は又「東の城(じょう)」ともいいます。
本丸の東北にあって稍低く東西四十メートル、南北二十五メートル許りで南と北とには各上下二段の袖曲輪があります。
更に其の西北には四階段の袖曲輪が下降しています。
此の部分を出丸ともいいます。




史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

二の丸を降り、本丸下へ。

にぎやかな道標が立つ。

「セト・金剛山」「国見山城跡 猫路城跡 金剛山」、これが「僅かに背後(南方)のみが馬の背の様な一條の小徑によって、金剛山頂に連絡する」という、上赤坂城の後方連絡線ということだ。

なお、金剛山の山頂にも「国見山城跡」があるため、赤坂城塞群に属する国見山城跡は「坊領山城跡」とも呼ばれ区別されている。

更にこの坊領山城跡(国見山城跡)は「茶臼城跡」とも称され、「史蹟赤坂と千早」ではこちらの名で紹介されている。

楠氏の城塞を探らんとする人は先ずここに登り、山稜を辿って、猫路・茶臼城址を経、金剛山頂に至ることが最も便宜で、当時は主にこの道によって金剛山に通じたものです。

「史蹟赤坂と千早」ではこの登山ルートは「今は坊領山から少し登った所でなくなっています。」としているが、近年地元有志の方々によって通行可能な状態に整備されているようである。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

本丸下から本丸へ登る。

進路は明瞭だ。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

坂を登りきると、木々の向こうに2本の石柱が。

本丸に到着だ。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

同じ意味の石碑が2つ、前後に並んで立つというのは中々変わった光景だ。

二の丸は荒れ気味だったが、本丸はきれいに整備されており、とても気分が良い。

ここにシートを広げてのんびりお弁当を食べるのも良いだろう。

心地よく汗をかいた身体に爽やかな風を感じつつ、リュックから「史蹟赤坂と千早」を取り出し、ページをめくる。

此の城址に立って展望すれば近くには猫路・茶臼・桝形・本宮・若山等の山塞が呼べば応えんばかりに之を囲繞し、遠くは摂河泉三州にひろがる楠氏の諸城塞が一眸の裡に収まり、眺望広潤実に景勝の地です。




史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

本丸は西南方の最高部で或いは千畳敷ともいいます。
南北百三十メートル、東西三十メートルの長方形をなし頂上より約十メートル下方に北より西にかけて幅五メートル許りの帯曲輪があり、更に其の下方には南より西にわたり幅約五メートルの空堀(古老は之を矢よけといっています)があります。
又南方にはニ階段、北方には三階段より成る袖曲輪があります。


千畳敷は石碑の前が開けていて、他の部分は清々しい林になっている。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN W / E.Zuiko 25mm F2.8 / KODAK PROFOTO XL 100

血で血を洗う阿鼻叫喚の激戦から680年、静かで爽やかな上赤坂城本丸跡、林間の小路を散策。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

昭和11年、楠公600年祭を記念し南河内郡東部教育委員会建立、「上赤坂城址碑」。



史蹟赤坂と千早 楠公史蹟巡り 上赤坂城址
OLYMPUS PEN FV / E.Zuiko 38mm F3.5 MACRO / KODAK PROFOTO XL 100

昭和58年、楠公史跡保存会建立、「史蹟楠木城址(上赤坂城址)碑」。

石碑自体は昭和10年に作られたが麓まで運んで来て作業中断、48年経ってようやく山頂に到着という、思わず「色々大変だったね」と声を掛けたくなる城址碑だ。

そんな不屈の「ど根性石碑」に勇気をもらい、次回は大楠公挙兵の地、下赤坂城址を訪ねる。



楠公史跡巡り 上赤坂城址


より大きな地図で 楠公史跡巡り 千早赤阪周辺 を表示


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